池永 憲彦 KAZUHIKO IKENAGA
レモン社長
リモンライフ株式会社 代表取締役
生年月日: 1977年3月31日 O型牡羊座
出身地: 広島県尾道市
趣味:食材・料理・弁当・音楽・旅・日本酒、海釣り、イベントプロデュース等
ミュージシャンからレモン社長へ
大学のサークルメンバーで2003年全国バンドコンテストで1000バンド中グランプリ受賞後、2005年にJ-POPバンド「ジャンクルーズ」でデビュー。3枚のアルバムをリリースするが、喉の病気で音楽を断念。その後パラリンピック選手「谷(佐藤)真海」と共にパラリンピック普及活動を続ける。有志達とNPO法人Happy Japan Projectを設立。「人と人を繋げる接着剤」として数々のイベントを成功させ、活動の輪を広げる。
その後稼業の食材卸会社頑固屋有限会社で副社長に就任。
2013年に地元食材「瀬戸田レモン」に注目し、レモン事業部を立ち上げる。圧倒的な営業力で高品質スーパーから外食産業、チェーン店、個人店までこだわりのお店限定で取引先を拡大し、数年で全国展開に。JAPAN LEMON&SETODA LEMONの世界進出に向けて瀬戸田大隅農園とビジネスパートナー提携。更なるレモンの可能性の追求を目指し2017年12月にリモンライフ株式会社を設立。国産レモン業界の顔役の一人として認知されていく。
子供の頃から好きだったモスバーガーとのレモン&柑橘の取引がきっかけで、2020年より株式会社モスフードサービスモスの顧問に就任。モスの正式サポーターとしてモス活動開始。
各界の著名人から芸能界までの幅広い交流を生かし、扇の要役として活動の幅を広げる。
2015年広島テレビ「テレビ派ランチ」のコーナーで「東京で活躍する広島県人」として取り上げられる。
1歳の息子の離乳食と妻の弁当を毎日作っている
子供が産まれてから人が変わり、保育関連の一般社団法人の立ち上げを企画&プロデュース
「人間交差点」・・松下政経塾副理事 神蔵孝之氏より池永を表現して頂いた言葉
TITLE
レモン社長
リモンライフ株式会社 代表取締役
頑固屋有限会社 取締役副社長
株式会社モスフードサービス 顧問
株式会社大洋工芸 顧問
NPO法人Happy Japan Project 発起人理事
一般社団法人倉橋惣三協会 専務理事(発起人)
一般社団法人東京広島県人会 幹事
一般社団法人海の都推進協議会 理事
尾道観光大志2015年~2019年
HITひろしま観光大使 2020年~
特定非営利活動ふるさとテレビ 顧問
気仙沼・尾道プロジェクト 発起人
熊本震災益城町応援プロジェクト 発起人
drinksひろしま 主催&発起人
プラスティック・オノ☆ミチ・バンド ボーカル
ジャンクルーズ ボーカル
リモンアート音楽コンサル
瀬戸田レモン、瀬戸内レモン、柑橘の生果、加工品の販売
瀬戸内食材の卸
柑橘類防カビ噴霧システム&菌除去企画・販売
鮮度保持システムREMO.
イベント総合プロデュース&企画
レモン研究、有効成分抽出、バイオコークス
LiLiC
アート音楽コンサル
大隅レモンの詳細は上記写真をクリックお願い致します。
リモンライフ株式会社
瀬戸田レモンの卸会社です。安心安全の瀬戸田レモンに魅せられて2013年から広島県尾道市の頑固屋有限会社でレモン事業を始めました。パートナーの若手レモン農家さんが弊社を信頼してくれてこのレモン事業の為に2014年から7500坪のレモン農園を一から開墾してくれました。いよいよ2018年から出荷出来るようになり、会社を設立しましたが、20年に一度の大寒波に襲われてしまい新レモン農園のレモンが全滅してしまいました。それがきっかけで日本の農業の未来を深く考えるようになりました。リモンライフには大きなMISSIONがあると確信し、現在蒸留法による香り抽出、葉っぱからの有効成分研究、バイオコークスプロジェクト参戦により柑橘バイオコークス実験など食材以外のレモンの使い方を追求し、地域循環型レモンビジネスを構築中です。その他業務用レモン関係の商品を揃えております。その他柑橘関連の商品もございます。
農業に関わるようになり、故郷にまだ知られていないこだわりの生産物や陽の目を見ずにそのまま地元で終わってしまうようなものを沢山知りました。リモンライフでは地域生産者が作るこだわり素材を原料として新しい価値を開発し、製品化すると同時に、生み出された製品を扱って頂けるパートナー様と共に、生産者さんの想いと価値を伝えていく事をMISSIONとします。廃棄ゼロをめざし、レモンを通して日本の食、健康、美の貢献に努めます。
リモンライフ株式会社 代表取締役 池永憲彦
瀬戸田Oosumiレモン 現在:耕地面積 12400坪
出荷開始2020年
新農園 苗木新たに900本
NPO法人Happy Japan Project 理事
◆発起人:パラリンピックアスリート「佐藤真海」と仲間と共に立ち上げた。パラリンピック競技を通して命の大切さ、夢をあきらめない事、チャレンジ精神を次世代に伝える。パラリンピック選手壮行会イベント、五輪招致委員会コラボイベント、ヤクルト球団始球式&コラボパラリンピックコラボイベント、全国小、中学校講演など幅広い活動をする。
詳しい活動報告は写真をクリック
◆夢を翔ける~パラリンピックアスリートからあなたへ~(発起人)
2008年3月 東京プリンスホテル(北京パラリンピック普及イベント)
◆夢を翔ける~オリンピアン・パラリンピアンからあなたへ~
2009年11月 バンクーバーパラリンピック選手壮行会 ホテルニューオークラ 発起人
◆ヤクルトスワローズ「パラリンピックDAY」神宮球場始球式 発起人
◆パラリンピック写真展(越智貴雄) 都庁1F
◆佐藤真海講演会(全国小、中学校)
◆佐藤真海 凱旋トーク交流イベント 気仙沼 発起人
◆施設訪問LIVE、Xmasチャリティライブ&訪問(2008年~2018年)
◆尾道施設どんぐり工房 カレンダープロデュース(2008年~2010年)
◆HJP10周年イベント「パラ座談会」 2018年 発案&企画
12年目を迎える活動
2007年10月21日にJICAと池永の共同企画として始まった渋谷早朝ごみ拾いは、現在HJPに受け継がれ、毎月1度のペースで開催されている。朝7:00に渋谷ハチ公前に集合し、代々木公園まで約二時間拾い続ける。2019年で12周年を迎える。
ホームページ
~尾道と気仙沼姉妹都市を目指す~
「活動報告」は
写真をクリック
◆池永に集まった義援金の総額は1千万円以上。気仙沼に通い、復興まで共に歩いていく事を誓う。数々のイベントを仕掛ける。その輪はかなりの勢いで広がる。
◆気仙沼復興応援者
富司純子さん(女優)、井ノ原さん、丸山和也さん (国際弁護士)、森田直幸さん (俳優)
鈴木あいさん(シンガー)
大田原保様、湯浅久美様、浜中和子様、宇根本茂様、てっぱん同盟の皆様、尾道JCの皆様、尾道東ロータリークラブの皆様、有志の皆様
◆宮城・三陸フェア 東京ドームホテルリラッサ
東京ドーム執行役員久岡氏の協力のもと企画成立。統括シェフの野上シェフを気仙沼にお連れし、実際に食材を見ていただく。約12社からの仕入れ決定。400席のビュッフェレストラン「リラッサ」で約1・5ケ月の間気仙沼の食がふるまわれた。
池永企画で100人以上の気仙沼パーティも開催され、第一回は小野寺元防衛大臣、第二回は富司純子さんが出席いただいた。
◆~Teppan KITCHEN~はまらいん恵比寿本店
株式会社WIDE ISLANDの石原氏と共に気仙沼と瀬戸内の食材のコラボ店を企画。恵比寿駅近にオープン。気仙沼の食材が常に味わえる店に。
◆気仙沼市より感謝状授与 2016年
長年の貢献を認めていただき、気仙沼市長と気仙沼教育長より感謝状が授与された。
熊本震災活動
益城町応援プロジェクト 発起人
池永と縁のあった益城町ひろやす荘を拠点にした応援活動中。集まった義援金は総額480万円。(富司純子様、井ノ原様
、浜中和子様、大田原保様、湯浅久美様、有志の皆様)
●第一回 2016年4月24日
物資支援と義援金
富司純子さんの義援金と物資を届ける。神社本庁の渡邊剛氏の応援のもとHJPの活動として
現地入りし、全国から神社へ集まった物資を届ける。
●第二回 2016年5月27日
気仙沼からアドバイザー派遣
同じ老人福祉施設を運営しながら震災に合い、5年間街の復興の中心人物として活動に尽力された「気仙沼キングスガーデン」の山崎本部長と佐藤由美子事務長をアドバイザーとして来て頂いた。
●第三回 2016年6月3日
尾道&気仙沼グルメと「瀬戸内レモネード」&MUSIC
震災以降避難所としても開放して、自身が被災しながらも復旧活動を続けたひろやす荘のスタッフさんとそのご家族、そして避難所の方々に楽しい時間を過ごしてもらいたいと企画。
共に復興に向けて歩んでいる気仙沼のグルメと、尾道のお好み焼きを食べて頂いた。
大御所女優のシークレットゲストが駆けつけてくださり、現地の人に希望を与えた。応援コンサートもあり、笑顔多い時間となった。
●第四回 2016年9月3日
益城町応援コンサート~音楽の園~
アーティスト
池永憲彦/松瀬一昭/鈴木あい/井上フヂヲ
ひろやす荘の利用者さんに向けてのコンサートと義援金贈呈(ひろやす荘20万/愛児園20万)ひろやす荘生活相談課長より「間違いなく、震災以降一番盛り上がったイベントです」と言っていただいた。
●第五回 2016年10月15日
芸能人サプライズ訪問
益城町ひろやす荘にて、震災から半年のイベントの前日にこの活動にずっと力を貸してくれている朝の顔で有名な芸能人のサプライズ訪問を実地。職員の皆さんから利用者の皆さんの大きな励みとなった。
●第六回 2017年4月15日(土)
熊本地震復興イベント2017
尾道&気仙沼グルメ!Music&Salon in ひろやす荘
益城町の復興応援の拠点ひろやす荘にて、震災から一年が経過したその日に応援イベントを開催しました。県外から駆けつけたボランティアスタッフは総勢23名。音楽やグルメや沢山んのコンテンツに参加者の皆さまより嬉しい言葉を沢山いただきました。当時の様子は真相報道バンキシャ(日テレ)で紹介されました。尾道では山陽日日新聞で紹介されました。
●第七回 2018年4月15日
震災から2年経ったこの日。益城町応援イベントを開催しました。雨の予報70%の中、イベントの時だけは晴れ。今までで一番の参加者人数になりました。
主催:NPO法人Happy Japan Project
協力(順不同):尾道てっぱん料理クラブ、荏原商事株式会社、おはな整骨院、チームHJP、チームGANKOYA,AISe、社会福祉法人キングスガーデン宮城、尾道の味 大丸、特別養護老人ホームひろやす荘
寄付:(順不同):浜中和子 / 大田原保 / 湯浅久美 /井ノ原/ 富司純子
協賛:(順不同)大塚製薬株式会社 /㈱モスファーム熊本 / 福寿水産株式会社/和菓子宝月/頑固屋有限会社
◆2007年:日韓合作映画「あなたを忘れない」ヒロイン(マーキー)のバンドのギタリスト「カズ役」で出演。
◆2012年映画「アオギリにたくして」の主演田中節子の兄「田中浩二」役で出演。
出演:原日出子、風見しんご他
その他
2011年 山田洋次監督50周年記念舞台「東京物語」の主役「水谷八重子」「安井昌二」「波乃久里子」の尾道弁の方言指導を努める。
(詳細は上記写真をクリック)
カズが所属していたJ-POPバンド
ボーカル・作詞・作曲担当
2003年に1000バンド以上のエントリーがあった
全国大会soundコンテストでグランプリをきっかけに
全国デビュー。3枚CDリリースしたが、喉の病気で活動休止。
プラスティック・オノ☆ミチ・バンド
尾道出身のバンドでメジャーデビューした「THE 東南西北」の清水氏、大池氏とサウンドトレジャーバンドの井上氏、六反氏が集結したバンド。音楽の実力では相当な評価あり。
チケットは毎回完売御礼☆2013年初アルバムPoBESTリリース。
好きなように集まり、好きなように音楽を
奏でてきたP・O・Bがついに作品を生み出した。
構想から2年
今までの音楽人生をフルに生かし、
アレンジ、レコーディング、ミックスまで
全てメンバーセルフ制作の渾身の作品。
全7曲収録の PoBEST~BLUE DISC~
9月21日にその幕は開けられる。
元ポップスバンドならではの
キャッチーな曲からonomichiの風土に
合ったアレンジの曲、バラードまで
聴きごたえのある1枚だ。(自称)
視聴は左の画像をクリック!!
東京広島県人会 幹事
前会長林有厚(東京ドーム会長)、現会長大竹美喜(アフラック創業者)約3000人くらいの会員数を誇る日本一盛り上がる県人会として有名。広島県人会応援ソングmomijiを作曲。
Drinksひろしま 主催
毎月東京の広島人が30人くらい集まり、広島にゆかりのある店で広島を盛り上げる。2015年1月に第54回を迎える。
Nextひろしま 副委員長
広島から上京したての次世代を応援、東京から広島を盛り上げ、故郷に恩返しをするプロジェクト。2013年6月16日、表参道CAYで動員200人の第一回交流会を開催。2014年に第二回開催。
尾道市観光大志
地元尾道の観光大使4年務める。現在も継続中。
2014年11月26日に木村奈津子と入籍。
2015年11月7日に東京ドームホテル「天空」にて披露パーティを開催。
参列者320名の大規模ながら、スタッフや参列者の協力で温かいパーティになった。
結婚パーティのブログはこちら
ここからプロフィールに使われてるbiography
2001年ポップスバンド「ジャンクルーズ」を結成。「航海」を一つのキーワードに、多彩な音楽のジャンルを織り交ぜた楽曲を公開。2003年Sound Contest03にて全国大会でグランプリ受賞をきっかけに1stアルバム「WILD JOURNEY」でデビュー。
◆映画出演◆
2007年1月公開された日韓合作映画「あなたを忘れない」のオーディションを通過し、ヒロイン(マーキー)のバンドのギタリスト「カズ役」で出演。それをきっかけに韓国との交流が広がっていく。(翌年には韓国学生奨学金集めのライブを開催し、ライブ代全額寄付。初のソロライブになる)きっかけとなったJR新大久保駅で酔っ払いを助けて亡くなったイスヒョンさんのご両親、共演した原日出子さん、金子貴俊さんとはその後も交流が続く。
◆ジャンクルーズ活動休止へ◆ パラリンピック佐藤真海との出会い
2008年春に三枚目のアルバムが「PAL-LET」がリリースされたが、池永の喉の病気(声帯結節)の発覚からジャンクルーズ活動休止へ。その後パラリンピックアスリート佐藤真海との出会いでパラリンピック普及活動、選手壮行会のイベントを開催。東京都、オリンピック・パラリンピック招致委員会と共に招致活動にパラリンピック選手との窓口として協力し、イベント開催。後にヤクルトスワローズ館山投手プレゼンツ「パラリンピックDAY
in神宮球場」を開催。 NPO法人Happy Japan Project設立。発起人として理事に就任。
その後、全国の子供達へ「命の大切さ」「あきらめない事」「夢の輝き」をテーマに佐藤真海と共に講演活動を。
人の役に立ちたいと思うようになり、主役ではなく、サポート役に回る事に決める。
◆再び音楽開始へ◆
2011年 地元尾道で、尾道からメジャーデビューをした先輩バンド「THE東南西北」のメンバーの清水伸吾氏&大池茂文氏と出会い、尾道からメジャーデビューした二つのバンドが融合した新バンド『Plastic Ono☆michi Band』(プラスティック・オノ☆ミチ・バンド)が結成される。ワンマンLIVEは全LIVE完売の人気振りである。2013年9月CDリリース
2014年には尾道故郷貢献として、存続の危機にあったシネマ尾道を応援するライブを開催し、
チケット代全額35万円を寄付。
現在は、尾道の曲を中心にジョンバーガー&カフェ、OYE COMO VAなどで活動。
尾道燦☆san / DEVIL-A/ 新開ラビリンスなど
◆初の方言指導へ挑戦◆
2011年 山田洋次監督50周年記念舞台「東京物語」の主役「水谷八重子」「安井昌二」
「波乃久里子」の尾道弁の方言指導を努める。
◆再び映画出演決定◆
2012年 原爆の語り部「沼田鈴子」さんをモデルとした映画「アオギリにたくして」のヒロインの兄役に抜擢。風見しんごさんの息子役として共演。2013年公開し、地元尾道で舞台挨拶を務める。
◆東日本大震災と気仙沼◆
東日本大震災をきっかけに、縁のあった気仙沼と地元尾道との姉妹都市計画をし、現地に通いお互い顔の見える協力体制を作り、気仙沼の有志の協力の元、友人の尾道、大手企業、著名人の力を借りながら長い目でみた応援体制を進行中。現地で会った気仙沼の人達から人生においての沢山の大切な事を学び、
生涯の活動と決める。
●義捐金 総額1千万円(富司純子さん、大田原保さん、湯浅久美さん、浜中和子さんなど多数)
●炊き出し&物資(HJP)陸前高田・宮古・気仙沼・郡山避難所・猪苗代湖避難所
●元気が出るイベント開催(著名人のお忍び訪問や、イベントをプロデュース)
●気仙沼の食を都内に繋げる活動: ㈱東京ドーム 執行役員 久岡公一郎氏と共に。
・東京ドームホテルリラッサ 三陸・宮城フェア開催(企画・推進)
・~Teppan KITCHEN~はまらいん恵比寿本店OPEN(企画・推進・コーディネート)
●佐藤真海 気仙沼凱旋イベント(HJP) 企画・推進・司会・出演者コーディネート
◆様々なボランティア活動を経て、本格的ビジネスの世界へ
がんこ屋有限会社取締役として、東京営業所を品川に設立。経営を学びながら、「人に喜ばれる会社 人に喜ばれる人」を目指し「食と自然、人と調和」をテーマに事業展開中。
新事業、新企画を打ち出しながら急速に販路を広げる。
気仙沼の縁を生かして、瀬戸内と三陸食材の強化。そして生産者と消費者を繋ぐ事業として
第一弾「瀬戸内レモン」事業を強化し、大隅農園と提携して「瀬戸田OOSUMIレモン」の販路拡大。
●瀬戸内食材・・・レモン、レモン加工品、柑橘、柑橘加工品、海産物(広島牡蠣、牡蠣加工品、業務用)、尾道らーめん材料全般
●三陸食材・・海産物、フカヒレ、いかの塩辛、マルズワイガニ、気仙沼ホルモンなど。
尊敬する方々から頂いた 「人と人との接着剤」「人間交差点」「扇の要」という評価を自分の生業とし、人の役に立てる人間を目指し、生涯の目標とする。
「扇の要」東京の父小堀光由(トーヨーセンサー株式会社代表取締役)様より頂戴したお言葉。
「人間交差点・・」 松下政経塾副理事長 神蔵孝之氏(イマジニア会長)より頂戴したお言葉。
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父は尾道屈指の名家同士で産まれたお坊ちゃま。母はお嬢様。この二人の東京での出会いが波乱の人生の幕開け。色々特殊だが面白い家族なのは間違いない。
そんな中、1977年3月31日に池永家長男として東京で生まれる
アグレッシブな父の仕事の関係で
東京→市川→綾瀬→大阪高槻市→札幌と引っ越し、最後に尾道に落ち着く。
※父は富士ゼロックスの日本一のトップ営業マン。その後退社し、早くに独立。
◆小学時代◆
●尾道弁に馴染めず、人間が苦手になる。友達も作らず一人を好む。地域のソフトボール大会で初めてヒットを打ったが、サードに間違えて走ってしまい、始まってもいない野球人生を終える。海や神社で読書が趣味。しかし、商売は好きで当時流行ったビックリマンシールを仲良くなった問屋から箱買いして30円を50円で売って差額儲けていたり(当時は一人4つしか買えなかった)その他釣った鯉を売ったり、ミニ四駆&ラジコン代行制作サービス(友達にお願いするだけ)で稼いだお金で趣味の歴史巡り旅をする。古事記、日本書紀にはまり、9歳で出雲へ一人で行く。父が経営していたインドカレー専門店でのステージにあった楽器にはまり、音楽が好きになる。小学校4年の時に一人で宮島に行き、家にあったエレクトーンで初めて作曲する。曲名「宮島水族館」
小学生時代の出来事はこのくらいであとは特徴が特にない地味な子供。
※火事で全焼した為、写真は残っていない。
◆中学時代◆
●サザンオールスターズに憧れ、中一でミュージシャンになる事を決意。だが、相変わらず人付き合いが苦手で音楽以外の趣味は一人で楽しめる機械体操と釣り。土日は毎週一人で釣り。(たまに友達と)得意な鉄棒では中学生で大車輪が出来たり、マットなどの機械体操はかなりの実力だったが、あまりにもマイナーで華やかな舞台は訪れなかった。
球技全般が苦手で、小学校の時のソフトボール試合でヒットを一度だけ打ったがサードに走ってしまったり、サッカーの授業の時にボールに足が絡まってこけた事を引きずり、チームワークという言葉が嫌いになる。だがしかし、中一で将来ミュージシャンになると決めた為、人格改革を決意。
※後に日比崎中学校50周年記念に卒業生代表で、ライブ出演。
そして50周年記念教育講演として、「佐藤真海」講演を開催。60周年記念行事もメインイベントを引き受ける。
母校へ少しずつ恩返し(罪滅ぼし)を意識始める。
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◆高校時代◆
近畿大学付属福山高校に入学
空白の三年間。人生で一番平坦で、駄目な時期。そんな中、音楽だけは毎日頑張る。
喉から血が出るくらい歌も練習し、高校三年生で全校生徒が競う文化祭ののど自慢で優勝。作詞作曲を本格的に始める。
※この頃の恩師の三人「小林先生」「森岡先生」「奥田先生」とは今も交流があり
人生の大切な人となる。後に母校へLIVEで帰還。
◆大学時代◆
そんなこんなで帝京大学に入学。もうこの頃は音楽で東京に出る事しか考えてなかった。
東京に出さえすればプロになれると盲信していたくらいの自信家だった。
音楽サークルに入り、ジャンクルーズのメンバー「マッキー」と出会う。
この頃から共にプロを目指すようになる。
→ジャンクルーズ結成へ